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         メール・マガジン

    「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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  ★第008号       ’99−08−13★

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    ジコチュウの人

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●「カッコよく生きようと

 

思っているだけなのよォ!」と野球監督夫人がわめくCDが先頃売り出され、

いくらも売れなかったという。TV放送で断片的に聞いた印象からすれば、

全く不思議ではない。主役の音楽性が不足で、バックのミュジシャンたちが

可哀想、、、

 

 

と書き出して、急に確かめたくなった。あれは一体、どんなジャンルに分類

されるのでしょうかね? それより基本的に、「音楽」CDなのだろうか?

それとも、処世ノウハウの「教育ソフト」か? まことに奇怪な代物です。

 

本気で叫んでいる、とは思いたくないが、批判渦巻く中で発売したところを

見ると、やはりその気らしい。とにかく、真剣な力のこもった声ではあった。

 

しかし、あれに「教育」される人が出ないとは限らない。悪ノリする人って

必ずいるものですからね。それが困る。言いたい放題、し放題、かつ無責任。

 

それで良いのだと見得を切る奴が増えちゃ、この世は住みにくくなるばかり。

CDが出る前すでに、子供たちの間で無責任を意味する流行語になっている

とも報道された。 あとの世代に少しでも良いことをし残すのが先輩の務め、

、、、と私などは思うが、そんな考え、、、無いだろうね、彼女には。

 

*   *

 

怖いものなしの怪気炎。自分のことは棚の上、言うだけだから何でも言える。

その快刀乱麻が爽快、と感じられて、初め好ましく思っていた人も多い。が、

(報道内容が事実なら)出会う人、まわりの人、みんなトバッチリの大迷惑。

 

それでも自信満々で、「普通でない」人を徹底して演じきるあたり、やはり

一種の才能なのかも知れない。 しかし、あれで通ってしまうものかしら?

 

*   *   *

 

総仕上げと言うべく堂々発売のジコチュウ・ソング。こりゃもう、確信犯。

付き合いたい人ではないが、人間研究の材料としては珍重に値しますな。

 

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●「普通でない」とは

 

言い換えれば「異常」。しかし誰でも、自分が異常だとは思いたがらない。

自分がオカシイのかな、と思ったら、次々ヘンなこと、出来るわけがない。

 

教訓1:自覚を欠くと、行為のエスカレートはあっても、やむことはない。

 

 

整形しても年齢は隠せない、ブランドもので装っても、心の奥底まで一流品

になるわけが無い。 まして身の上を偽れば、バレずに済むものではない。

 

教訓2:客観的に無益なことであればあるほど、主観的には熱中するもの。

 

*   *

 

良からぬ話題にされ、告発までされて、どこが「カッコよく」なのかなあ?

注目を集めたから満足?! 自己顕示欲もそこまで来ると、世の常ではない。

 

教訓3:この世で<目立つ存在>には、多少ともビョーキが伴なっている。

 

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●人間だれしも、

 

自分がモノサシ。まともなのは自分、オカシイのは相手の方、と信じて疑わ

ないのが普通です。それは無意識的で、普段はさほど強力に主張されません。

しかし、目に見えないからと言って、「無い」と思うのは大間違い。 

 

 

    「彼らは生活を楽しんでいるんですよ」私が言った。

    ゲイルが眉を上げた。「そういわれてみると」彼女が言った。

    「そうなのかもしれないわね。そういう見方で考えたことないわ」

    自己中心なのだ、と思った。

 

ディック・フランシスの「罰金」Forfeit (菊池光訳ハヤカワ文庫)の一節。

さりげないやり取りの中の一瞬、無意識にチラリ、人が本質を露呈する。

それを逃さない作家の目と心の素早さ、的確さに感心してしまう。

 

*   *

 

「そういう見方」では「考えたこと」なかった。 なら、どんな考え方か?

ゲイルの考え方、でしょうな。誰でも自分の過去の蓄積に基づいて考える。

無意識的にそうするものです。 もちろん、それ自体は間違いじゃない。

 

しかし、「そういわれてみると」ほかの考え方もあると気づくのであって、

他人の考え方が先に思い浮かぶことは普通ないもの。「ないわ」は極めて

自然な答ですが、、、。

 

次の瞬間、さらり「自己中心なのだ」。 バッサリ断定されてしまう。

 

*   *   *

 

教訓4:相手の説を受け容れるのに、ためらう必要は無い。それで自分が

    変わってしまうわけではないのだから。

 

  そうね、言われてみると、、(ゲイルの)程度のソフトさで監督夫人が

  受けていたら、あれほどの騒ぎにはならずに済んだのではあるまいか。

 

*   *   *   *

 

教訓5:他人様はキビシイ。簡単には勘弁してくれない。

 

  そうね、と相手を受け容れても、相手さんの評価基準が急に変わるわけ

  ではない。 言わないとワカランやつ、とバッサリが重なることもある。

 

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●監督夫人のジコチュウ

 

は多分に意識的、演技的なものだろうと善意に(?)解釈しておきましょう。

しかしあれは、他山の石。あるいは反面教師。我々も無意識的にジコチュウ

を演じているのです。知らぬ間にどれほど、人間関係を傷つけていることか。

 

 

「無意識的」のタチの悪さは、言ってあげないと、本人、気づかないこと。

じゃ、言ってあげれば改まるのか? いや、改まることはないでしょう。

 

具体的に事実を示し、アンタオカシイヨと言う。相手はハッと気づく、、が、

(表面はともかく、ココロは)何だ?とか、おおきにお世話!が普通です。

 

*   *

 

どれほど謙虚に構えている人でも、自分の在り方を否定されることには我慢

ならない。だから相手の言葉を否定する。「否定の否定」は即ち肯定ですね。

 

「相手が自分を受け容れること」なら受け容れる、、、 それは要するに、

 

*   *   *

 

「自分」を押し通そうということだから、本当はかなり「強力な主張」です。

ところが本人、「まともな自分」を否定している相手の方がオカシイ。それ

を受け容れたくないだけ。別に主張なんかしていない、、、と思っている。

 

間違っている、とは思わない。つまり、正しいと思っているわけ。だから、

断固として譲らない、、、やはり、これは「強力」なんだが、それも無意識。

 

*   *   *   *

 

自分ではオトナシイと思っているが、他人の目にはそう映ってはいない、、、

人が見ているあなた、それはあなたの知っているあなた、ではない、かもね。

 

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●日本人同士ですら

 

こんな具合ですからね。 これ、グローバルに見たら、、、どうなるかな?

かつて流行した日本人論の影響もあって、よその国(と言っても私の場合は

主にアメリカ中西部でした)での会話には、この質問を必ず含めたものです。

 

「あなたの目に、日本人はどう見えますか?」

 

外交的、儀礼的の段階ではともかく、それを超えた相手からは率直な判定が

もらえましたよ。中で多かったのが「 Self-centered! 」。 いや、ご明察。

 

 

しかし、「 Selfish 」と聞かされたことはなかった。翻訳の専門家に教えを

請うべきだったかも知れませんが、、、うっかり。この二者には微妙な違い、

即ちニュアンスがあるようです。

 

Selfish には「わがままな」、「自分勝手な」という感情の成分がより多く

感じられ、深い考えなく行動する人を指して言うかのごとくです。

 

これに対しSelf-centered は、「利己的」、「自己中心的」という同じ語義も

あるが、やや冷静。考えた上なのだろうが、行動の結果は、、という感じ。

 

ジコチュウなんて言葉がはやるずっと前のことでしたが、グサリ!でしたな。

 

*   *

 

我々日本人、バカじゃない。一生懸命考えます。誰にとっても良かろう、で

方針を立て、くそ真面目に励む国民性です。世界の皆さんに認められたくて、

ことさら低姿勢でやってきた。 これでずいぶん、我慢はしてるんだぜ、、、

 

というのはこちらの話。相手にもそう見えているのか、チェックが足りない。

いや、相手に言われても、認めるよりは「説明して、理解を求める」のが常。

 

これじゃどうしても、Self-centered にしか見えないでしょうな。

 

戦後半世紀、それを繰り返してきた。いや、そんな調子だったから、あんな

戦争にもなった、と言えるのではないか。 ジコチュウは嫌われるんだよ。

 

工業立国、貿易振興。どれも国是、すべて「お国のため」。みな励みました。

良いものを作ろう、安く売ろう、で輸出大国、黒字の山。その挙げ句が何と

バッシング!  Self-centered でいると、最後はそうやられちゃうのさ。

 

*   *   *

 

島国に肩を寄せて何千年、文化を異にする人々との日常的接触なしに育った

我々のDNAだから言うのでしょう、「そういう見方で考えたことないわ」。

 

そこに気づかないと、いや、気づいて改めないと、こりゃ悲劇、まだあるぜ。

 

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●無意識だから

 

悲劇とは気づかないのだろうけれど、分からなきゃ良いというものじゃない。

 

 

最近、新聞のコラムに出ていた話。アメリカ西海岸のホテルでの日本人女性。

ビジネスマンが商談などもしているロビーのその脇で、超ミニ・スカート、

目元に何かキラキラ光るものをつけた若い女性が、化粧道具を広げて化粧を

したり、マニキュアを塗ってはフーフーやってシンナーの匂いを漂わせ、、、

他の客から「このホテルは売春婦を泊めているのか!」とよく言われる、と。

 

映画や小説のシーンでも、それは確かに売春婦の行動パターン。本人たちは

学生の頃から電車の中や盛り場の路上、衆人環視の中で化粧することに慣れ、

何も不自然とは感じていないのだろうが。 それを異文化圏へ<輸出>?!

 

*   *

 

誰にも迷惑かけてないわよ! 注意すりゃ、多分そう言い返すでしょうな。

だが、そのセリフ、どこかで聞いたような? ウン、監督夫人のCDだぜ。

 

若い世代に「お国のため」を説いても聞いてはもらえまいが、自分のために

ならないことはしなさんな、くらい親たちが仕付けるべきだろう。が、親の

世代が既にダメになってしまっていることは監督夫人が証明した。万事休す。

 

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●相手の認識

 

との間に小さくない違いがある。しかし、それに気づかない。そして、それを

相手に押しつける。それにも気づかない。相手は迷惑している。気づかない。

 

 

「違い」は例の定義によれば<かけ離れ>、即ち<問題>。望んでいない人に

押しつければ<かけ離れ>る。気づくべきを気づかない、これも<問題>だ。

 

即ち、「ジコチュウは<問題>を大量生産する」。これ、定理。皆さんの周辺

のトラブル・メーカー、思い浮かべてご覧なさい。 ジコチュウの人でしょ?

 

*   *

 

職場に、その種の人が紛れ込んで来るのは避けられません。メンバーの人柄を

早くから、的確に把握し、行動の結果も十分チェックして、問題の発生を未然

に防ぎましょう。 人物の測定、日常の目配り、いずれも欠かせません。

 

そしてリーダーたるあなた、ジコチュウであることは決して許されませんぞ。

問題解決のリーダーが<問題>を生産するなんて、自己矛盾ですからね。

 

*   *   *

 

じゃ、どんな方法で? と訊きたいでしょうね。 実は私もお話ししたい。

たとえ万能ではないにしろ、それを可能とする技法は<ある>からです。

が、それはまた先の話にしましょう。 え、そりゃジコチュウだろう?!

いや、皆さんがもうお疲れだろうと思いましてね、、、

                           ■竹島元一■

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